☆ 仏陀

2014.2.15


手塚治虫ブッダ」を見に行きました

朝1番だったし貸し切りかと思ったらいましたねー

そろそろおばあちゃんに足を踏みいれている人が2人


私「スヌーラ きれいだったよー」



スヌーラ「そっかぁ」



私「食物連鎖を通して生きるものはつながっているお腹いっぱい以上のものを求めるのは人間だけ

それ以上のものを求めなければ争い事は起きないって言いたかったの?」



スヌーラ「あの時代はみんな飢えていたからなあ

それと精神的にもつながっている

一人の苦痛はやがて大勢の人へと広がる

たった一人で辛い思いをしているんじゃない

その人と取り巻く人たちが何かしらの感情を受け取ることになる

人は役割を持って生まれてくるんだ」



私「なぜかみんな同じこと言うんだね」



私の人生のバイブル  ニール.ドナルド.ウォルシュさんの「神との対話」にも同じようなことが書いてあった

人は一人では生きられないって

もしこの世の中に自分一人しか人間が存在しなかったら  長い間ひとりでいたら

自分の手がどこまでで  自分の足がどこまでで自分の体がどこまでか分からなくなるって

人は他人と比べることで人として生きられるんだって

あぁ私の体ってこんな風なんだって

だから人間は存在するだけで価値があるんだよって

存在するだけで他人に影響与えているんだね

そういえば大型台風の被害にあったフィリピンにリトリーバルに連れて行ってもらった時に

連れてきてしまった頭からワカメを垂らした

ワカメの間から目を1つだけ見せていた人も長い長い間海に一人で漂ってたから

人間の体がわからなくなっちゃったんだろうなぁ



私「スヌーラはあの映画で一番私に知って欲しかったことは何だったの?」



スヌーラ「苦行の辛さ」



私「辛そうだったよね」


あの時代は生きていくことが辛いことだったから来世で幸せになりますようにって  辛い修行したんでしょう?でもなんだか体に苦痛を与えること自体が美徳のように思われました

修行なんかやったことない私が口出しすることじゃありませんね



私「もしかしてそれでまたいつか機会があったら一緒に人間になろうって誘ってもいい返事しないの?」



スヌーラ「ああ」



私「スヌーラがシッダールタとして生まれた時はスヌーラの記憶はなかったの?」



スヌーラ「なかったよ  ガイドはアンドロメダ人だったけどな」



私「じゃあ悟りを開いた後は?」



スヌーラ「その後はアンドロメダ人としての感覚が沸き上がってくる感じだった」



私「じゃあスヌーラがそのまま生きていたわけじゃないんだね」



スヌーラ「初めから計画して人生に入ったからね」



私「でも今も苦行の末に悟りを得られると思っている人は大勢いるみたいよ  インドなんかですごい格好してる人たちがいるじゃない」



スヌーラ「人間の体でこんなこともできるんだよっていう証明にはなると思うが…それが悟りと直結するかどうかは疑問が残るなぁ」



私「悟りって何?」



スヌーラ「全ては一つであると気づくこと  感じることだよ」